会計士のデザインノート

ヒトとカネの交差点

なぜ守衛さんに挨拶をしないのか?~新卒でもないのに毎朝1年間挨拶し続け気が付いたこと

 
おはようございます。
ただいま朝の4:33。
まだ暗いですね。遠くに見える職場付近のオフィスビルたち。
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天気がもやもやしていますが、今回は1年間もやもやし続けた「あること」について、言語化してみたいと思います。
 
「あること」とは、タイトルにあるとおり、「社員のほとんどが守衛さんにおはようございますと挨拶をしないのはなぜか?」という、まあ私以外の人にとってはどうでもいい話です。
 
ゆとり世代の新卒だって(ゆとりはもはや死語だというのに)おはようございますくらいするのに、なぜ日本を誇る大手企業の社員はおはようございますしないのか。私にとってあまりにも不思議すぎて、おはようございますするって動詞が、いまこの瞬間生まれました。
 
どうでもいいですが、会社勤め9年目にして、「一年間毎日挨拶した」のが初めてであるくらい「お前は挨拶くらいしろ」と親にも上司にも怒られ続けた私だからこそ声を大にして問いたい。
 
では本題。
 
 

出社時に守衛さんが挨拶をしてくれるのは気持ちがいい

朝の出社時間に守衛さんが挨拶をしてくれる。
会社のオフィスビルが一定程度の規模があると、守衛さんが入り口にたって、「おはようございます」と出社する社員に挨拶をきてくれます。これはとても気持ちいいですね。
出社時間帯のうち、どれくらいの時間、入り口に立ち挨拶をしてくれてるのか?1時間だとしたら、すごいですね。それが意味のある行為かどうかはさておき、一時間ずっと立ちっぱなしで(おはようございます」できますか?なかなかできないことだと思います。これを思うと余計に大変だなとありがたく感じます。
 
 

それに対して出社してくる社員は

私は必ず「おはようございます」返しをします。そんなのどっちでもいいじゃないか。と思うかもしれません。しかし、私は挨拶をしないとなんとなく気分が晴れないので挨拶をするようにしています。そんなにエネルギーのいることではないしね。
 
しかしながら、私のように挨拶をする人はいないのです。この一年間、私以外で挨拶をしている人を見たことがありません。たまたまのレベルではありません。一年間ですから、もうこれは挨拶をしてはいけない、というルールがあるのかもしれないと思うほどです。
 
毎朝、この不思議を感じながら、理由を考えています。
 
能力的にはできるはず。いまのオフィスビルは上場している大企業の社員がほとんどだと思います。仕事ができるかどうかは知りませんが、挨拶ができるかどうかという点ではできる能力は十分にあるはずです。
 
しかし、能力があっても行動には結びつかない。その理由は何か?単純に、みんなしてないしシャイになっているだけだとは思うのですが。
 
組織としては、
  • 挨拶をしようという風土ではない
  • 挨拶を奨励する仕組みがない
 
個人としては
  • みんながしていないからという横並び行動
  • 心に余裕がない
  • 恥ずかしい
  • 知らない人には挨拶をしない
 
原因を考えても、まあよくわからないというか、まあ全部それっぽいですね。少し視点を変えてみましょう。
 
 

挨拶はどういうとき必要か

挨拶はコミュニケーションの開始(または終了)の合図です。(以後は「おはようございます」をネタに開始の話を書いていきます)
会話などを始める際のアイスブレイク的な機能を持っています。これからコミュニケーション始めるよ?準備いい?という。いきなり本題には入らないですよね。なんとなくソフトランディングというか、間合いをはかるというか、リズムをはかるというか。
 
ということからすると、守衛さんに挨拶をすべきか?というイシュー(と呼べるのか)はどう考えられるか。
 
  • 守衛さんとコミュニケーションの開始をするのであれば挨拶をすべきである
 
ということになります。ですので、みなさん守衛さんとはコミュニケーションする必要がないから挨拶なんてしない、って判断をなんとなくでもしているのかもしれませんね。
 
 

それでも守衛さんはなぜ挨拶をするのか

守衛さんがコミュニケーションしたいと思っている。というのはあり得ないと思います笑。守衛さんは多分、仕事としてやっているだけなのです。ではなぜ仕事としてやる必要があるのか?
 
挨拶をしてると評価してくれる顧客がいるからでしょうか。守衛さんは警備会社に雇われの身であり、警備会社はオフィスビル運営会社に雇われています。よって運営会社に評価されていれば警備会社は安泰であり、守衛さん個人も同様です。
 
ここで運営会社は何を評価するかというと、もちろん警備の安心感や何かあったときの対応だと思われますが、その中に挨拶が爽やかで気分がいいというものもあるかもしれません。
 
 

なぜ私は守衛さんに挨拶するのか。「挨拶スイッチ」

別に守衛さんとコミュニケーションをとりたいわけではありません。笑
イメージでいうと、オフィスビルとコミュニケーションが開始される、つまり仕事のスイッチをいれる意味があるのかもしれません。
 
普通は家をでて「行ってきます」を言ったときなのかもしれませんが、通勤中は自分一人の時間ということで読書してることがおおく、スイッチが入ってないのかも。
 
もし、挨拶がコミュニケーションの合図であり、守衛さんへの挨拶がオフィスビルとのコミュニケーション、つまり仕事の開始の合図だとすれば、私一人がオフィスビルの入口でスイッチを入れてるってことになります。笑。そして、世の中の働きマンは、オフィスビルの入口より前の段階でスイッチを入れてるのだろうという推測となります。やっぱり「行ってきます」などがスイッチなのでしょうか。スイッチは人それぞれで調べてみると面白いかもしれません。
 
私にとっては、挨拶がスイッチ。「挨拶スイッチ」。
 
 

挨拶をしないから悪ではない

挨拶をしないから悪。と、道徳的になんとなく思ってしまいます。しかし、挨拶には、コミュニケーション開始の合図、という意味があります。もし必要がなければ挨拶はしないはず、しないことも許されはずです。
 
もし挨拶するのが絶対的に善だ、という話なら、すれ違う人全員に挨拶すればいいのか、という話になります。また、都内の通勤時に挨拶をほとんどの人としないように、みんな道徳的に悪なのか、ということになってしまいます。極端にいえば。
 
このように、気持ちがいいなと思うことには意味があります。その意味を具体的に考えずに、気持ちがいいからやれ、やらなくては、やらなきゃ常識的におかしい、といいきってしまうのはよくないのではないでしょうか。常識や道徳をふりかざして社会が個人に同調圧力を過度にかけてはいけませんね。常に意味を考えていけば、善悪や損得の判断は少しはうまくなるような気がします。個人にとっても社会にとっても。
 
 
といいつつも、そんな大したエネルギー消費じゃないんだから、挨拶しようって私は思います。私にとっては、挨拶したほうが気持ちいいから。その気持ちいい理由を今回は上記のとおり言語化してみると、挨拶はスイッチであったという話でした。(いい加減、うだうだ考えすぎ、書きすぎである。)
 
 
 
ということで、一年間不思議に思っていたことをすべてではないにせよ言語化できました。ふ〜すっきり。
さて、今日も挨拶をして、スイッチを入れていきましょう。
 
 
 
それでは、今日も一日おもしろく。