会計士のデザインノート

ヒトとカネの交差点

フェイスブック疲れ 〜ポジティブ祭りの強制という土着的宗教感

おはようございます
(写真は昨日の夕暮れ時の燃えるような雲)f:id:tom_notebook:20150610044950j:plain



最近、SNS疲れです。
特にフェイスブックって、TVや新聞などの従来型マスコミとどう違うの?いや、同じところあるよね、注意しよう。と思うところがあったので。

都合のいい情報が多い
情報発信者としては、伝えたい内容や拡散してほしい内容をアップしますので自然とこうなります。

情報を受ける側としては、「(発信者の)都合のいいところが多い」という点に注意する必要があります。この点は、フェイスブック(以下、FB)とTVなどのマスコミと同じであると思っています。広告主や広告媒体主が変わっただけです。スポンサーとTV局から、情報元(発信者含む)と発信者の関係です。

だからあまりにみていると、ずっとTVをみているような疲労感がでてきます。


ポジティブ祭り
また、フェイスブックでは、本当にポジティブなことが多くタイムラインを流れていきます。たまに悲報訃報もあったりしますが、おおむね、「こんな楽しいことあるよ」「すごいでしょ」「いいでしょ」みたいなものが爆速で流れていきます。これが疲れる。正直、普通の人だと「いいね」を押します。

その連鎖。

近しいコミュニティーの中で「いいね」を押し続ける、という構造はある意味、新興宗教的なにおいを感じることもあります。(私が今回感じたのもこの点でした)

TVのようなマスと似たような感じを受けることもあれば、このように閉ざされたコミュニティーを感じることもあるというのは不思議です。なぜかはおいおい考えたいですね。

話がそれましたが、仕組みとして「いいなぁ」という羨望、悪く言えば「嫉妬」を、助長するようになっています。それをコミュニティーの中で見える化したことがフェイスブックの功罪です。

かくいう私も、だいたい休日の「うまいぜ、これ」とか「いい本読んだぜ」「こんな活動に参加してきたぜ(いいだろ)」という感じでアップしているのが現状ですが。

まあ、これが人間関係やコミュニケーションを強制されているようで「田舎」のノリを感じます。いい部分ももちろんあるのですが、毎日見える化されおしつけられるのはちょっと疲れますね。


で、どうすればいいのか?
2つの理由はいずれともフェイスブックの根本的な性質ですのでそれを、かえるのは困難です。そのため、自分を変えるほうが楽。

つまり、

・情報の「受信」と「発信」のバランスを整えること

から始めます。

・「受信」について、閲覧は最大でも朝昼夜の3回ずつ(個別Message除く)
・「発信」について、毎日「受信」をこえる数投稿を行う。(「いいね」は除く。「いいね」は毎日3回まで)


それでは。今日も一日おもしろく。
( -ω- )b