会計士のデザインノート

ヒトとカネの交差点

<読書録>「かくかくしかじか」と「ニュータイプ」とハードワーカーと <かくかくしかじか>

おはようございます。


ママはテンパリスト」「海月姫」などで有名な東村アキコの自伝的漫画、「かくかくしかじか」を読みました。
かくかくしかじか 1 かくかくしかじか 1
東村 アキコ

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もっとも印象的だったのはこのセリフ。
 
ただ描けばいいんや
目の前にあるものを
描きたいものなんか探してるからダメになる
描けなくなる...
お前は余計なこと考えすぎじゃ
 
端的に言えば、
何か大きな目標を達成するにはそれだけの努力が必要である。
ということでしょうか。
 
 

努力とワークライフバランスブラック企業

「努力しろ~」というのは、よく聞く話です。小さいころから耳が痛くなるほど聞いてきたことと思います。ところが、社会人にとっては、少し古くさい感じを受けるかもしれません。なぜなら、最近は、「ワークライフバランス」ならぬ「ライフワークバランス」というワードが台頭してきているからです。「ブラック企業」対策で「働く」権利と「働かない」権利の戦争がいくぶん「働かない」権利の方に傾きつつありますね。
 
 
私は「ライフワークバランス」的な話にはとても興味があり、働きたい人は働けばいいし、働きたくない人はその義務を超えてまで無理に働く必要はないと思っています。労働の義務は契約上明らかですが、労働の権利はどうなの?(死ぬほど働きたいという人を止められるかということ)両方とも守られるべきであると思います。働きたくないのに明らかに働きすぎな人はいないほうがいいに決まってますが、働きたい人はガンガン働くべき、働ける世の中であってほしいと思います。
 
世の中で問題になっているのは、一部の真正「ブラック企業」つまり、「働きたいでしょ?ねえねえそうでしょ?じゃあ働きなよ、いや働けよ」といって働きたい、もしくは食うには働かなければならないけどあまり働きたくない・働けない人にそれを強要する、という構造です。
 
 

マイノリティの保護の結果、また別のマイノリティが虐げられる

しかしながら、世は不思議、とはよくいったもので、そういう限定的な状況で保護されるべき者への保護が、保護されるべきでない者への保護へとかわり、保護が強要に代わっていく。つまり、もっと働きたい人も、働きたくない人の保護政策に強要されて、働けなくなってしまう。いわば、「逆ブラック」な状況といえるかもしれません。特に、(統計をとったわけではないけれど)働きたくない人はもっと(死ぬほど)働きたい人よりも大多数、マジョリティでしょう。マイノリティであるもっと働きたい人が虐げられないように注意しなければなりません。
 
とはいえ、いつでもどこでも虐げられるのはマイノリティです。いいかえれば、マイノリティを保護した結果、別のマイノリティが虐げられるはめになる。それが、人間という種の生存本能なのかもしれません。人間という種、総体としての人間を保護するには多数派を生かしていく、のが生存戦略ということです。これはあくまでもイメージですが。
 
 

ガンダムニュータイプ論とイノベイターと努力論

ここで少し思い起こしたのは、「機動戦士ガンダム」における「ニュータイプ論」です。
ガンダム宇宙世紀シリーズでは、コミュニケーション能力が非常に高い人類をニュータイプと呼んでいます。簡単にいえば、人の心が具体的にではないにせよ、なんとなく読める、そのため戦局では優秀な戦果を残せる人たちのことです。主人公のアムロなどはそうなのですが、彼らニュータイプはマイノリティであり、徹底的に旧来の体制(オールドタイプ)に受け入れられることはありません。これはもう徹底的にシリーズ全般でそうなっています。ストーリーの発端も、宇宙移民というマイノリティの独立宣言からはじまった戦争、という設定です。
 
ガンダムの中でもマイノリティは虐げられるのです。
ニュータイプが社会に殺され続ける物語なのです。
 
ガンダムの中での話ではありますが、現代に起こりうることだとも思います。
マイノリティであるハードワーカーが虐げられ、経済や社会を支えてきた柱が弱くなっていく。柱のそばにいる人たちはどうなるか?もし、天井がおちてきたら、、、
 
前にも書きましたが、生産性の向上には限度があり、それ以上の成果を求めるのであればもう働く時間を増やすことが必要だと。つまり、現代において、ニュータイプのように成果を出すためには、とことんやるしかない。なぜなら、アニメのようにテレパシー的な能力は使えないからです(たぶん)。もちろん、家族による支えもあって、ハードワーカーはハードワーカー足りうる部分もありえますし、仕事だけが社会貢献ではありません。(問題提起したいのは、いまの社会の仕組み上、経済を回し続けながらどう仕事なり仕事以外なりをしていけばいいのか、ということです。)
 
 

取捨選択の覚悟

「努力」と書くと青臭く、胡散臭いにおいもありますが、このように努力論を考えると、社会には必要であると感じます。
 
私も家庭があり、子供にも会いたいので、長時間労働はできるだけしたくありません。ハードワークはしたいと思っています。厳密には、長時間労働とハードワークは完全に一致しませんが、影響しあう部分も大きい。そして、成果が必ずしも上がるとは限らない。そう、取捨選択なのです。何が正解かは自分自身にある。また、ハードワークするにしてと心の拠り所が大切だということです。東村アキコにとって、それは「描け」という厳しい先生であったろうし、私にとっては家族であったりします。
 
  • 24時間という時間をあなたはどう使いますか?
  • それを家族や大切な人に胸をはって伝えることができますか?
  • そのための覚悟はありますか?
 
こんな問いを、ものすっごい重い鈍器でなぐられたような漫画でした。身に染みて、自分自身を顧みる、「かくかくしかじか」、名作です。
 
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それでは、今日も一日おもしろく。
( -ω- )b