会計士のデザインノート

ヒトとカネの交差点

税務上の「中小法人」の判断基準見直しへ ~シャープが大法人でなくなる!?

 

おはようございます。
 
少し前ですが、シャープが減資をする、とのことから税制改正まで議論が及んでいるので、記録しておきます。
 

irorio.jp

 
記事にもある通り、問題意識はここにあります。
税制優遇を受けるためにあえて資本金を1億円以下に抑える企業もあり、基準が問題視されていた。

 

しかし、税法上、課税の公平性の観点から基準をもうけなきゃいけない。課税の公平性とは、ざっくりといってしまえば、「同じような会社には同じように課税を」ということです。
 
そして、この基準は形式的に数値基準がもっともクリアです。つまり、「大企業に課す」よりも「資本金等1億円以上の会社に課す」の方がクリアですよね。もちろん形式上は同じでも実態は異なることがあります。シャープの減資の件では、これが危惧され、ここぞとばかりに国税庁は見直しを図ろうということではないかといわれています。
 
 
とはいえ、「大会社」の定義は、なかなか難しいものです。果たして、資本金等1億円以上、だったり売上高まるまる以上といわれても、、、もはや大企業とすべてのケースについていえるのか、と。シャープのようなケースはさておき、基準に1円しか差がないのに、大企業になるならないが判断できるのか?と。
 
この点は徴税(課税)コストの点から、もう形式的に線引きするしかない、というところでしょう。徴税側も納税側も、毎年、「大企業に該当するのか」という論点を争っていても、人や時間のコスト、ひいては経営の機会損失が大きすぎます。
 
では、判断基準をどう考えればいいのか?いまのところ、「売上高」や「従業員数」が候補として上がっているようです。
この点は法人税方上は、組織再編税制における適格要件(規模要件)とは整合しています。規模要件では、「いずれか」を満たせばよいので、資本金だけを基準にすることもあります。
 
相続税上の株価評価においても、業種によりますが、売上高や従業員の両方を基準にして大会社、中会社、小会社の判定をします。この考え方とも整合しますね。
 
では、売上高、従業員、資本金、どれが会社規模としてベストな判断基準なのか、というと、答えはありません。ロジカルにつめていっても、正直1つの答えがでるものではありません。ですので、あとは、税金予算次第だということでしょう。結局、いくらの財源がほしいか(削ってもよいか)が決まっていて、それを達成するには基準をどうおけばいいか、そのインパクト分析を立法府が行い決定するわけですね(いまや行政がやっているかと思いますが)。たぶん。
 
ということで、新たな基準がより実態を表すのかは不明ですが、自社に影響が及ぶかどうかは注視すべきであり、続報が待たれます。
 
しかし、シャープの一時期の勢いはどこへ、、、

www.nikkei.com

 
 
それでは、今日も一日おもしろく。
( -ω- )b

 

<読書録>なんのためにやるのか、どうやってやるのか <経営学を「使える武器」にする>

 

おはようございます。

 

ひさしぶりに熱い本を読みました。

そして、文庫で500円くらいなのに、厚い内容です。

熱くて厚い経営学を活かすための本。

 

経営学を「使える武器」にする (新潮文庫) 経営学を「使える武器」にする (新潮文庫)
高山 信彦

新潮社 2015-02-28
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著者は企業の研修講師。とはいっても、ただの研修ではない。経営学の古典を血反吐がでうまで読み込ませ、それを要約させ、自分の事業活動に実際に使わせる。しかも、通常業務を普通にこなしながら。

文章でかくとあっさりとしてしまいますが、、、みなさん、下記の質問に答えてみてください。

 

  1. 経営学の古典の原書、たとえばM・E・ポーターの「競争優位の戦略」、バーニーの「企業戦略論」を1回でも読了したことがありますか?
  2. それをノートに要約したことがありますか?もしくは要約して人に説明したり講義をしたことがありますか?
  3. 経営学の古典のフレームワーク、たとえばポーターの5つの競争要因分析を自社にあてはめてみたことがありますか?
  4. 上記分析をもとに、行うべき経営行動の計画を立案したことがありますか?
  5. 実際に計画を実行し成果を残したことがありますか?

 

おそらく、1点目で挫折するでしょう。いや、ほとんどの人は、1点目を開始するにも至らないと思います。なぜなら、原書はすごく高値ですから、買う気もおこらない。相当なやる気か、経営学部の学生くらいではないでしょうか。8,000円は大の大人でもひきますよね、、、

 

競争優位の戦略―いかに高業績を持続させるか 競争優位の戦略―いかに高業績を持続させるか
M.E.ポーター 土岐 坤

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そして、2,3,4,5とどんどんハードルがあがるわけです。特に3以降は、本当に辛いと思います。その研修の雰囲気がこの薄っぺらい150ページ程度の文庫におさまっています。臨場感がひしひしと伝わってきます。本当にすごい。

 

そして、何よりも感じたこと。

 

やってみたい。

 

さっそくポーターを購入し、読み込みを開始しています。

 

学生時代読んだことがある程度ですので、ビジネスマンになってから読むのは初です。学生時代とは全く違います。シンプルだけど、事実を確認すること、行動計画に落とし込み、行動すること、成果をあげること、、、

 

それは、「始めに『How』ありきではダメだ。『What』を探せ」ということです。(中略)生徒には、与えられた目的を達成するための「方法」を考えるより、「目的」自体を自分自身で掴み取って欲しい。

(高山信彦「経営学を「使える武器」にする」より)

 

掴み取ってやりましょう。

 

それでは、今日も一日おもしろく。

 ( -ω- )b

 

 

商売は「人に興味があるか」で決まる

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なんとなく、仕事において「人に興味がない」人は廃れていく傾向にあるのではないか、と感じることがありました。

いや、仕事じゃなくても、人生においてもそうかもしれません。

と思うのも、「部下に興味がない上司」をみていて切なくなるのが、「部下にバカにされている」とか「呆れられている」というところなんですね。

私自身、その上司に対して部下にも興味を示してくれよ、と部下なりに思います。とはいえ、仕事をしっかりとってきてわれわれ下っ端に仕事をくれるだけで、すごいな、と思うわけです。そこは見習わねば、と。

とはいえ、私以外の部下が本音はどう思っているかはわかりませんが、バカにしてしまう、呆れてしまう。それはなぜなのか?


やはり人は他人に興味を持ってほしい、いわゆる「自己承認欲求」を求めてるんでしょう。まさにこのことかと腹落ちしました。


とはいえ、仕事はバシッととってくるわけです。組織内でそんな感じだとしたら、顧客などに対してはどうなのだろう?顧客はどう思っているのだろう?どういった点でその上司に仕事を依頼するのだろう?と考えるわけです。


この点、その上司は顧客に対しては圧倒的に興味があるんです。親身に何でも悩みがあったら聞く、自分でできなくてもできる人にふることでニーズを満たす。ニーズを満たすには顧客がどう考えているか、どう感じるかを徹底的に考え詰める。だから選ばれるんじゃないか、と思いました。


残念なのは、組織内部でもそのようにあれば、もっと出世したりある程度ポジションを得られるんじゃないかなぁ、と思います。



つまるところ、組織内部でも顧客に対しても、「人に興味がある」かを示せるかどうか、で商売は成り立つのかな、と漠然と思いました。




それでは。今日も一日おもしろく。
( -ω- )b。


飲んで語れば「モノ」を感じられる <坂道のアポロン>


こんにちわ。

みなさん、毎日心は踊っていますか?

いまさらながら、Huluで「坂道のアポロン」をみました。

坂道のアポロン(1) (フラワーコミックスα)

坂道のアポロン(1) (フラワーコミックスα)


どういう物語か
高校生でジャズが好きな不良と、クラシックピアノをやってる優等生が出会い、セッションしていく、という話。原作は少女漫画ですので、色恋ものが多く、いやー青春ですなー、とおっさんは遠い目をするような作品です。
ムネキュンしたい方にはおすすめですが、そうでない方は見ないほうがいいでしょう。


音楽は「モノ」
前回は、「言葉」ではなく「モノ」を重視すべきだ、という話でした。

今回みた「坂道のアポロン」をこの観点から考えてみました。

「モノ」には人間の行動や感情にかかわるものが含まれます。「坂道のアポロン」のメインテーマである音楽は空気の振動ですので「モノ」にかかわります。湿度や部屋の大きさなどによって、音の質が変わることもご存じだと思います。音楽はれっきとした「モノ」なのです。また、アニメでは音楽をとりまく人々、楽器にふれる人間、それを聴く人間、、、というふうにまさに「モノ」の世界が描かれていました。



「モノ」と感情、そして記憶
「モノ」である音楽を自らの感情にまかせて、ガンガン打ち鳴らすんですね。もうこれでもかというくらい。喜怒哀楽すべてにおいて。それがすごく伝わってくるんですよね。ジャズとかクラシックって。不思議なくらい、言葉が不要なのです。

J-PopなどのPopularMusicは、歌詞という言葉がなければなかなか意味が伝わらないと思っています。私は、正直メロディがよくても歌詞がだめだと聞く気になりません。ただし、ライブは除きます。やっぱりライブは響くんです。音が。腹に。

何がいいたいかというと、「モノ」を通じたコミュニケーションというのは、感情に突き刺さります。そして、長年の間、記憶にすごく残ります。音楽は昔を本当に鮮明に思い出しますね。また、においとかもそうでしょうか。どんどん美化(もしくはその反対)されていくのは記憶の性質ですが、それを増幅する効果が「モノ」にはあります。


「モノ」を使うには、まず「歌って踊れ、語って飲め」
といわれましても、と思うかもしれません。

どうやって、仕事で「モノ」を使うのか?「モノ」にふれるのか?

と。ほとんどの人がホワイトカラー、つまりほとんど「モノ」をつくったりしないですよね。人と話したり、文章や資料をPCで書いたりしているだけだと思います。かなりざっくりいっておりますが、、、

そのヒントの一つは、宴会におけるアウトプットにあるかもしれません。ノミニケーションという言葉はだいっきらいなのですが、「アウトプットを意識した会食」と表現を変えてみましょう。これなら、Agreeできます。つまり、

アウトプット=何を表現し、ほかの人に伝え、どんなフィードバックを得るか、ということをしっかり考えて、会食(宴会)に臨んでみる。


ということです。これをやれば、おいしい食事(モノ)、楽しいカラオケ(モノ)を介して、語った内容や得た情報(言葉)をしっかりと感じることができ、記憶にも定着するのではないか、と考えました。

たとえば、上司との飲み会でも、「私はどう評価されてるか」とか「どんな不満が私や上司にあるのか」とか考えてみる。もちろん「上司はプライベートどうだったかな、家族とどうかな」とか考えてみる。上司の家族なんてどーでもいいわ!と思われるかもしれませんが、往々にして、自分に家族ができるとわかります。上司の家族は、将来できるであろう自分の家族の姿(の一部分)であったのだと。つまり上司の悩みは将来、その年なりそのステージなりポジションなりになったときに自分にもふりかかる、ということ。

話がそれました。というふうに「他人事」「自分事」を往復し、どんなフィードバックとなるかを考えてておくのです。事前に。繰り返しますが、「事前に」がポイントです。それは、カラオケの選曲であっても、飲み会の場所であっても、なんでもいえることです。

そして、実際に、おいしい酒や食べ物を食べる。カラオケもなるべく歌い、踊ってみる。(別に無理に行くことはありませんが)。どうしても、避けられない接待で、イヤイヤ行くのもわかります。私も接待が得意ではありません。でも、こうすれば、意外と楽しめるし、肝心な情報も、「あああ、気志團むっちゃ踊ったわー、あのとき、自分は主義主張みたいなのを酔った勢いでしてしまった。そしたら、お客の社長がすげーいいこといってた。いい気づきになった。」と思い返せるはずです。(たぶん)



坂道のアポロン」という恥ずかしいくらいの青春物語から、なぜこのようなおっさんのノミニケーションならぬ「アウトプット会食」の話になったのか。それは私がおっさんだから!ではなく、おそらく最近会食がすごく多くて、妻に怒られたからでしょう。いくからには、何かを得ろ、と。

ということで、「坂道のアポロン」おすすめです。時間のない方にはサントラだけでも聴くことをおすすめします。ジャズいいですよ。


まだまだスウィングが足りない!


それでは。今日も一日おもしろく。
( -ω- )b



<読書録>言葉にできていないものを言語化する <「弱いつながり 〜検索ワードを探す旅」東浩紀>

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おはようございます。

 

やっぱり哲学って面白い。今回は本書について。

 

弱いつながり 検索ワードを探す旅 弱いつながり 検索ワードを探す旅
東浩紀

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どんな本か

 リアルとネットの関係についての哲学です。哲学というと難しくて読めない、、、ってことは多々あるのですが、本書はすごく平易な言葉で書かれていて、おすすめです。

 

 そして、自分の仕事にも関係する部分が多々あったので書き留めておきます。

(そもそも哲学なのであらゆる人間の営みに関係するのですね。)

 

 

言語の限界

言葉には限界がある。 

それは誰もがわかっているはずなのですが、どうしても言葉が重視される時代です。ロジカルシンキングやビジネス書が毎年大量に出版されることからみてもわかることでしょう。みんな言葉を求めています。言葉で理解することが多いから。

 

しかし、言葉が無力なときがあります。

 

例えば、東日本大震災被災地の状況をどう伝えるか。チェルノブイリの状況をどう伝えるか。アウシュビッツの当時の状況をどう伝えるか。いま、そして将来にどう伝えていくのか。

どうでしょう?あなたは言葉でこれを伝えられますか?

  

 一方でデリダの哲学を研究し、言葉の無力さを学んできたという経緯から、他方でネットにずっと触れ、自分や友人の「炎上」を数多く見てきたという経験から、「言葉だけでは争いを止められないということを前提として、では争いを止めるためにはどうすればよいのか」に関心をもち、考えてきました。
 そこぼく僕が辿りついたのは、「モノ」が大事だという結論です。より正確に言えば、時間や経験といった「言葉の外部にあるもの」。

 (同書p.98より)

 

言葉の限界を越えること

 

  • 言葉によるメタゲームをやりすぎないこと。
  • 言葉の外にある時間や経験といった「モノ」を使うこと。
  • 言語化できない「モノ」を言葉に置き換えること。

 

ここにいまやろうとしている「見える化」「仕組み化」「標準化」のヒントがあるような気がします。

 

言葉にできていないものを言語化する(見える化する)。

 

言葉にできていないものには、言葉にしやすいものと言葉にしにくいものがあります。言葉にしにくいものを、言葉でとにかく突き詰めて表現することはしない。(ある意味そこは文筆家に任せればいい。)言葉だけで突き詰めるのではなく、「モノ」つまり人間が触れられる現物を使う。ということです。

 

たとえば、アウシュビッツの当時の凄まじい状況を言葉に表すことができません。できるかもしれませんが、伝わらない。そこでどうするか。それを観光地として開放することでその記憶を後世に伝えていると本書では紹介されています。

  

これは昨今、バズワードにもなってしまっている「デザイン思考」にも通ずるところがあります。人間の行動や感情ベース、つまり言葉やロジック(論理)ではなく、人間の情動や行為などの「モノ」を重視して考えようということです。また、「IoT」などもまさに「Things=モノ」を大切にします。まさに、このことかと。

 

 

 

どんなにIT化やクラウド化が進んだとしても、最後の最後では「ヒト」が行為するのだ、だから、「ヒト」の行動や感情を大切にして仕組みを作る必要がある、というもともと私が考えている思考にもつながりました。まさか、哲学の本、を読んでいてつながるとは、という感じですが、すっと気持ち良く脳に入っていきました。

 

たぶん、この方向性は間違っていない。 

勇気が出ました。

 

 戻る現実などはありません。 

 私たちは記号しか知らない。

 だから記号を旅するためにこそ、現実を旅する。

(同書p.163より)

 

それでは。今日も一日おもしろく。 

( -ω- )b

 

 

 

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))

 

個人で仕事をするのか、組織で仕事をするのか 〜働き方のあるべき姿を考える

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ここ1年、いろんな人と出会ってきました。出会いを求めており、それはいまも現在進行中です。
出会い、によって気づかされたことをまとめておきます。


「個人で仕事をすること」「組織で仕事をすること」の関係

何かを「(組織を離れて)個人で仕事をすること」と「組織やチームで仕事をすること」は相反しない。


ということです。
集まる必要があるときに必要な個人が集まれるような仕組みがあれば、チームを必要なときに組める。そんな「仕組み」には、いまや個人のネットワークだけでなく、クラウドソーシングなどというものもあります。

そんなこといったって、会社に属している以上、好き勝手に別の仕事をやるわけにはいかない、という反論もあろうかと思います。これは正しくもあり、間違いでもあります。そして、あるべきでもあり、そうであるべきではないとも言えます。


組織やチームで仕事をやる意味=「元気玉

そもそも、個人ではなく、組織やチームで仕事をやる意味は何でしょう?

  • 単純に物量が足りないから。
  • 組織で機能を分化させて、各個人がそれぞれの機能に注力できれば効率的に成果をあげられるから。
  • 関係者への説明や調整が楽になるから。
  • やりたいことや進むべき方向、目標が共有できるから。
  • なんとなく。

などなど。
一言でいってしまえば、「一人ではできないことをできるから」です。
クラウドファンディングも同じですね。一人のお金では足りないけど、共感出来る人たちのお金もあればなんとかなる。ドラゴンボールの「元気玉」方式。

ドラゴンボールがぱっとイメージされましたけど、孫悟空も毎日「元気玉」を練ってるわけじゃないんですね。もうほんと、ムリ、、、魔人ブゥ強すぎンゴ、、、ってなったときに

「地球のみんな、宇宙のみんな、オラに力を貸してくれ」

になるわけです。それこそ、虫とか小動物とかにも頼むわけです。戦闘力がたったの5だったとしても。

到達すべき目標(魔人ブゥを倒す)と現状(孫悟空個人の戦闘力)を比べたとき、ほかの人の力が必要、と感じれば、組織やチームで仕事をやれば(元気玉をねれば)いいと思います。すぐにでも(手を上にあげ念じれば)手に入るのが理想ですね。


集まる必要があるときに必要な個人が集まれるようになる

そうすれば、もっと面白くなるような気がしています。日本の全人口が、個人で仕事をすべきかは別の問題ではありますが、そうすべき人たちがそうできるような社会になるにはどうしたらいいだろうか。と考えるに至りました。

クラウドソーシングやWantedlyなど人材を流動化させようとするサービスはこれなのですが、まだ、「外注」や「中途採用ヘッドハンティング」の域を出ない気がしています。これからどんどん変わっていくのでしょう。

ダニエル・ピンク氏の「フリーエージェント時代の到来」においても、フリーエージェント同士の個人的なつながり、仕事を流すネットワークについて書かれています。

フリーエージェント社会の到来 新装版---組織に雇われない新しい働き方

フリーエージェント社会の到来 新装版---組織に雇われない新しい働き方

ここでは、仕事をなるべく多くの人に「渡す」側の人間になれ、みたいなことが書いてありました。

この個人のネットワークを可視化しているのがFacebookなのでしょう。無論、問題もあり、前回書いたような問題や、仕事に全く関係ない友人もつながっておりノイズが多すぎるという問題はあります。がそれをもって余りある価値を提供しているかもしれません。



考えれば考えるほど、組織論、ネットワーク論、(アウト)ソーシング論にまたがる広大な思考の海が広がっています。

組織開発論なども流行っているようなので、まずは組織論、ソーシング論について考えはじめてみたいとおもいます。


それでは。今日も一日おもしろく。

( -ω- )b


フェイスブック疲れ 〜ポジティブ祭りの強制という土着的宗教感

おはようございます
(写真は昨日の夕暮れ時の燃えるような雲)f:id:tom_notebook:20150610044950j:plain



最近、SNS疲れです。
特にフェイスブックって、TVや新聞などの従来型マスコミとどう違うの?いや、同じところあるよね、注意しよう。と思うところがあったので。

都合のいい情報が多い
情報発信者としては、伝えたい内容や拡散してほしい内容をアップしますので自然とこうなります。

情報を受ける側としては、「(発信者の)都合のいいところが多い」という点に注意する必要があります。この点は、フェイスブック(以下、FB)とTVなどのマスコミと同じであると思っています。広告主や広告媒体主が変わっただけです。スポンサーとTV局から、情報元(発信者含む)と発信者の関係です。

だからあまりにみていると、ずっとTVをみているような疲労感がでてきます。


ポジティブ祭り
また、フェイスブックでは、本当にポジティブなことが多くタイムラインを流れていきます。たまに悲報訃報もあったりしますが、おおむね、「こんな楽しいことあるよ」「すごいでしょ」「いいでしょ」みたいなものが爆速で流れていきます。これが疲れる。正直、普通の人だと「いいね」を押します。

その連鎖。

近しいコミュニティーの中で「いいね」を押し続ける、という構造はある意味、新興宗教的なにおいを感じることもあります。(私が今回感じたのもこの点でした)

TVのようなマスと似たような感じを受けることもあれば、このように閉ざされたコミュニティーを感じることもあるというのは不思議です。なぜかはおいおい考えたいですね。

話がそれましたが、仕組みとして「いいなぁ」という羨望、悪く言えば「嫉妬」を、助長するようになっています。それをコミュニティーの中で見える化したことがフェイスブックの功罪です。

かくいう私も、だいたい休日の「うまいぜ、これ」とか「いい本読んだぜ」「こんな活動に参加してきたぜ(いいだろ)」という感じでアップしているのが現状ですが。

まあ、これが人間関係やコミュニケーションを強制されているようで「田舎」のノリを感じます。いい部分ももちろんあるのですが、毎日見える化されおしつけられるのはちょっと疲れますね。


で、どうすればいいのか?
2つの理由はいずれともフェイスブックの根本的な性質ですのでそれを、かえるのは困難です。そのため、自分を変えるほうが楽。

つまり、

・情報の「受信」と「発信」のバランスを整えること

から始めます。

・「受信」について、閲覧は最大でも朝昼夜の3回ずつ(個別Message除く)
・「発信」について、毎日「受信」をこえる数投稿を行う。(「いいね」は除く。「いいね」は毎日3回まで)


それでは。今日も一日おもしろく。
( -ω- )b