会計士のデザインノート

ヒトとカネの交差点

学費という投資とそのリターン 〜奨学金から考える

 

こんにちわ、tomです。

 

今日の朝、電車で日経を読んでいたら気になった記事をご紹介。

 
 
これを読んでぱっと浮かんだ疑問は次の3つ。
  1. 学費は誰が負担すべきなのか?(親子なのか国なのか)
  2. 奨学金貸与型は利用するとしたらどのようなときか?
1.については、正直、国が負担すべきだと考えています。今の制度では機会平等がまったくといっていいほどないので、労働所得格差につながりやすい。ここで具体数値は示しませんが、経済統計上、高度な教育を受けた人のほうが稼ぎがいいのは明らかで、これが労働所得格差を助長する。高度な教育を受けることができるのは、高所得であればあるほど可能性が高いため、負のスパイラルになっています。
 
2.について、ファイナンス的に考えてみますと、貸与型の利率を上回る教育投資リターンを実現できると信じられれば、奨学金貸与型を利用すべきです。貸与型の利率を上回る教育投資リターンを実現できない、もしくは、教育投資リターンを考えることができない人は奨学金貸与型を利用すべきではないと考えます。
 
では、教育投資リターンとは何かというと、経済的リターンとそれ以外のリターンに分けられます。
 
経済的リターンは(この記事では)追加的に奨学金の貸与をうけて大学を卒業してからえられるリターンの超過分です。つまり、大卒と高卒のお給料の差がメインとなるでしょう。これは日本全体の平均値を参考にしつつ、各個人が大学にいったその先の超過リターンをイメージするといいと思います。
それ以外のリターンは、経済的にはかりにくいものです。部活やサークルでの思い出とか青春補正。もしくは、友人のネットワーク=人脈なんていうものも経済的にリターンとして実現する可能性が低く期待値としてはたいしたことはないけど、何かしら眠っているモノがあるかもしれません。これは、各個人でばらばらでしょうね。
 
この2つのリターンと奨学金貸与型の利率をみて、利用するか決めるのが良いと思います。まさにファイナンスの、資金調達と投資先決定の議論と同じですね。BSの右側と左側の議論です。
 
話を戻すと、最近は、就職してから奨学金の返済が大変、、、というか就職できてないし、、、みたいなことも社会問題としてとりあげられています。月々2〜3万円の返済って大卒初任給から出すのは結構シビアな金額です。すげーきついってわけでもないけどじわっとくる痛さのある金額、、、かといって、研究者になりたいから大学に残るとか、ベンチャー起業したいから当分は収入がないとか、っていう選択肢がノータイムで消されてしまうのもかなり困ったモノです(親が返済してくれればいいという話もありますが)。
 
やっぱり、どう考えても1.であげたように、国が負担すればいいと思います。でも、8割方、大学というものが就職活動のための名札程度しか生きていない(もしくはモラトリアムとしかなっていない)この現状では、もはや大義名分はなく、自己責任という名の諦めをもって、若者に重荷を負わせるしかないのでしょうか。
 
 
「手に職を」なんて言葉は最も嫌いな言葉の一つですが、そんな重荷を重った若者には職を握る手さえ空いていないのかもしれません。
 
 
その握る手を自由にしてあげられるのは大学なのか?
 
 
私自身、大学にはたくさんお世話になったし、色々なことを学びました。特に文章を書くことや経済の基礎、ロジカルにクリティカルに考えることなどなど、、、だから大学ができることもあるし、できないこともあるんだろうと思います。就職できなくて苦しんでる人もいるのだし。
 
 
では、何が大事なのか?
 
 
大学に高い学費を払う以前に、まずは「家庭での」教育をしっかり考え行うことではないでしょうか。大学はツールでしかないのですから。
 
 
それでは、また。( -ω- )ノシ
tom