自分の人生を生きる 〜情けは他人のためならず
こんにちわ、GWはいかがおすごしでしたでしょうか?
監査をやられている会計士の方は繁忙期真っ只中ですね。私は監査を全くやっていないので、普通の会社員と同じくカレンダー通りに休みでした。
色々とリフレッシュできました
と言えればよかったのですが、さいごのさいごで久しぶりに自戒しなければならない出来事があったので、メモ、、、
「他人の人生を生きるな」
誰の言葉だったか、いつしかよく聞くようになった言葉。この言葉を思い起こさざるを得ませんでした。
自分の人生を生きろ
ということですが、自分の人生を生きるってどういうことなのでしょう?
自分の人生を生きるとは
他人本位に生きない、つまり、下記の二点が最低限必要ではないでしょうか。
- 自分で最終的な意思決定をすること
- その意思決定の結果責任を負うこと
一言でいえば、「他人や環境のせいにしない」ってことです。これは、他人や環境のせいにして死んでもいいのか?って問いにどう答えるか、ということでもあります。極論にしてしまいましたが、死ぬまでいかなくても、他人や環境のせいにして楽しくなくてもいいのか?ってことです。
この問いに
OK!それでもいいです、と答えられれば、もう何も言いません。その人にとっては、それが自分の人生を生きることなのでしょう。そういう人生を送ればいいと思います。
NO!そんなの嫌だ、と答えるならば、ついついとってしまうネガティヴな行動をしていないか注意する必要があります。
こんな行動はするな
人それぞれだとは思いますが、自分はこういうときはダメな時です。うまくいかないし、気持ちもよくない、自分の人生を生きている気がしない時。
- 「いいわけ」で終わらせる
- 他人のせいにする
- 忙しさのせいにする
- 環境のせいにする
- 他人に押し付け、自分でケツを持たない
- 「他人のために」といいながら結局、他人に押し付けている。
- 他人に感謝しない
- 自分の努力だけでなんとかしてるとと思ってしまう
- イライラしたり八つ当たりする
すべての場合にこれをやらないってのは無理なことですが、大切にしたいものがあるときには絶対に妥協してはいけないことだと思っています。
「100%自分のせいにする」から始める
上記のようなダメな時の例に陥らないためには、どう行動すれば良いのか?結局のところ
- 100%自分のせいにする(前提を忘れない)
ところからはじめてみることが重要です。後から考えてみれば明らかに相手がおかしい場合でも、自分の努力の余地があったかもしれない、その努力によって新たな気づきや成長があるかもしれない、ということです。
もしくは、大半のケースは自分と相手の両方にいいところがあり、相手を跳ね除けずに歩み寄る努力をすることでよりベターな最適な行動がとれるかもしれません。
とはいえ、ダメな時はダメで熱くなってしまい、冷静に考えられないこともあります。熱くなってきてるな、とまだ考えられるなら、
- 物理的、精神的に一時的に距離を置く(一時的に逃げ出す)
ことも必要です。今回はこれで冷静になれたような気がします。
情けは他人のためならず
自分の人生を生きることは、自分のせいにすることです。自分が損を被ったり、責任を負うことは中々できることではありません。他人のせいにできない、ということは自分に厳しくなければならないということです。裏を返せば、他人に寛容でなければなりません。
「情けは他人のためならず」という格言の意味をご存知でしょうか?情けは他人のためではなく、自分に跳ね返ってくる、自分のためである。というものです。
まさに、自分の人生を生きることと「情けは人のためならず」は似ているように思います。一見、自分に厳しくしていて、他人に寛容であるけども、結局はそれが自分に返ってくるということ。
昔も今も、似たような悩みを抱えているんだなぁと思います。
少し話がそれましたが、GW明けても、「自分の人生を生きる」ことを全力で取り組んでいきたいと思います。
それでは、また。
( -ω- )ノシ